Save the Last Jump for Me [馬]
土曜東京8R東京ジャンプSで林満明騎手は障害競走通算2,000回騎乗に到達しました。
JRA史上初の記録で、林騎手はこれを機に引退しました。
若いころはレース前ワクワクしてたのに、怖くてドキドキするようになり、引き際と考えたそうです。
そのラストジャンプはアスターサムソンに乗り、1番人気に支持されましたが大差の最下位。
レース後、アスターは右後繋靭帯不全断裂(競走能力喪失)と診断されました。
画像は最後の障害を跳んだ後の撮影です。
その障害を跳ぶ前にシンガリになってましたから、すでに故障してたのでしょう。
よく最後までがんばりました。
林騎手は次の仕事がまだ決まってなくて、しばらく元騎手として就職活動をするそうです。
騎手免許は返上してないそうですから、当面はフリーの調教助手みたいな感じでいくのかな?
いい障害馬を育ててほしいです。
林ジョッキー、お疲れさまでした。
がんばれ日本 [古いアルバム]
今夜9時、W杯ロシア大会グループH、コロンビアvs日本がキックオフです。
相手は前回ブラジル大会でコテンパンにやられた因縁の相手で、実力でいえば5回やって1回勝てるかどうかという格上といっていいでしょう。
しかし、実力通りの結果に終わらないのがワールドカップです。
昭和のサッカー小僧だった私には夢のまた夢の舞台。
最高の舞台で最高の結果が出るように応援しましょう。
そんなわけで本日紹介するのはサッカーボーイにしました。
昭和63年5月8日NHK杯パドックでの撮影です。
クラシックで結果は出せませんでしたが、その実力はトップクラスで美しい馬でした。
もう一度あんな馬に出会いたいものです。
ワールドクラス [古いアルバム]
さて、今回も懐かしい馬を紹介しましょう。
昭和62年第7回ジャパンカップでのトリプティクです。
実にタフな馬で鉄の女と呼ばれましたが、前年のJCでは2か月で仏→英→米→日と移動したためか、何の見せ場もなく11着と敗れました。
そのためこの年はブリーダーズCをパスして、前哨戦の富士Sに参戦というローテでJCを獲りにきました。
その富士Sでは当時の競馬ファンが 『モノが違う・・・ これが世界か・・・』 と度肝をぬかれましたよ。
当然本番のJCでは圧倒的1番人気に支持されましたが、4着と人気を裏切りました。
2年連続JCに出走しながらも馬券にはからまなかった世界の名牝トリプティク。
それでも富士Sの衝撃は大きく、昭和の競馬ファンの記憶に残る名馬です。
産駒を残せなかったのが返す返すも残念です。
紫草のにほへる馬 [馬]
先週日曜5R新馬戦に続き、6R新馬戦もご紹介しましょう。
勝ったのは1番人気のアカネサス。
栗東からの輸送がありながら500kgという男勝りの馬体と勝負根性を持つ牝馬で、今話題のロードカナリア産駒です。
レースは直線で内をサワサワにすくわれて前が壁になり、デムーロが3頭分は外に持ち出すと、そこも塞がれて行き場がないという絶望的状況からの差し切りです。
たまたま前にいた13番が外にヨレて、進路ができて追い出したのは残り200m。
レースの上りが11.9ですから、アカネサス自体は11秒台前半の脚を使ってますね。
桜野行き樫野行きの馬になれるか、野守となって見守りましょう。
開幕ベルは華やかに [馬]
春の東京開催G1シリーズは終わりましたが、来年のクラシックへ向けて2歳新馬戦が始まりました。
日曜5R芝1600mではいきなり桜花賞候補が誕生です。
マイル1:33.6という驚異のタイムを叩きだしたのはグランアレグリア。
昨年ここをデビュー勝ちのステルヴィオより1.2秒も速いとは・・・ 時計だけならアーモンドアイ以上ですよ。
来年が楽しみですなぁ。
遅れてきた大物 [馬]
安田記念は連闘のモズアスコットが勝ちました。
賞金が足りそうにないから先週のオープンにまわったのに、今週になって回避馬続出とはなぁ。
昨年6月のデビューからずっと1,2番人気だったアスコットですが、重賞未勝利で初のG1挑戦が連闘でしたから、今回は9番人気での激走。
怪物フランケルの血が大舞台で爆発しました。
体質が弱くてデビューが遅れましたが、デビュー後は長い休みは無く、この1年で11戦してます。
初のオープン勝ちが連闘でのG1ですからやることが派手です。
マイル界に遅れてきた大物登場というところですが、これまでの反動がでないかちょっと心配。
秋はアスコット競馬場のクイーンエリザベス2世ステークスに挑戦とかどうですかね?
伝説の帝王 [古いアルバム]
平成最後のダービーが終わり、次なる時代へ向けて新馬戦が始まりました。
未来を予想する前に、故きを温ねてみましょうか。
昭和最後の逃げ馬、レジェンドテイオー号です。
あの大川慶次郎氏がパドック解説で「レジェンドがバカに良く見えますねぇ~」といってたのが思い出されます。
昭和62年天皇賞・秋ではニッポーテイオーのハナを叩くことができず2番手追走となり、最後は5馬身も離されましたが2着を死守しました。
鞍上はテン乗りの蛯沢でした。
翌年昭和最後の天皇賞・秋では郷原を背に本来の逃げでタマモクロス、オグリキャップの3着。
その翌年平成最初の天皇賞・秋を最後のレース(13着)に引退しました。
G1は勝てませんでしたが、良血で雄大な馬格を誇り、果敢に逃げる姿にファンが多かった。
記憶に残る名脇役でした。